会社沿革


≪当社設立前≫
1940年、当社は、東京都江東区に三協製作所として発足、水晶発振器(主として測量器)の製作を行なう。その後、武蔵野市中町1-4-1に移転、社名を株式会社八千代製作所に変更し、新しく鉄道技術研究所殿、NHK技術研究所殿との取引を開始。さらに、電電公社殿、電機通信研究所殿、また、同年6月には株式会社日立製作所 中央研究所殿との取引を開始しました。
≪有限会社 東京電機工業≫
1957年 10月、資本金250万円の有限会社東京電機工業を同所に設立し、(株)日立製作所中央研究所殿及び電機通信研究所殿との取引を継承。
1959年 (株)日立製作所武蔵工場殿との取引を開始。
1969年 2月、東京都東久留米市前沢に、日本電業工作株式会社殿の協力会社として新たに株式会社東京電機工業を設立。
1971年

半導体関連装置の受注増加に伴って、東大和市桜が丘4-294-2に300坪の用地を買収し、大和工場を新設。

1974年 5月、同工場内に新棟を増設し、生産部門を同所に結集し、生産効率の向上を図る。
1984年 3月、資本金を1,000万円に増資。
1995年 10月、創業者で代表取締役の村中定太郎が会長に退き、専務取締役 村中秀冶が代表取締役に就任。
2000年 株式会社日立ライフサイエンス推進事業部殿設立と同時に取引を開始。ゲノム技術開発関連機器分野に進出。
2001年 リッカーマン(日本)株式会社殿及び日立エンジニアリング株式会社殿と取引開始。製薬関連機器の製造を開始。
2002年 4月、資本金を2,000万円に増資。
≪株式会社 東京電機工業≫
1969年 2月、東京都東久留米市前沢に、日本電業工作株式会社殿の通信機器部品の専門工場として新たに株式会社東京電機工業を設立。
1974年 5月、有限会社東京電機工業の敷地内に移転
2003年 4月、客先の事業内容変更に伴ない受注量が減少したため、従業員を一部削減する。
2004年 12月1日、有限会社東京電機工業を株式会社東京電機工業に統合し、有限会社東京電機工業の事業及び設備を引き継ぐ。
また代表取締役 村中秀治が取締役会長に退き、代表取締役に比留間勇が就任し、新工場 立川市砂川町8-72-7に移転し営業を再開する。

<・・BACK l<・・HOME l